明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
新年を迎え、早速・・・今年の大河ドラマ「いだてん」の主人公、金栗四三さんの生家を訪ねてきました!
マラソンの父と言われている「金栗 四三」かなくり しそう さん
日本人として初めてオリンピックに出場され
箱根駅伝の開催、女子スポーツの普及などに貢献された方です。
金栗四三さんは、明治24年8月20日 今の和水町(なごみまち)で生まれまた。
生家は酒造業を営んでおり8人兄弟の7番目として生まれ、四三さんが生まれた時、父親が43歳だった理由で「四三」と名付けられたとのことです。
幼いころはもともと虚弱体質だったそうですが、小学校に入学するころには元気な少年となり、往復12㌔の距離を、走って通学!そのころ、2回吸って2回吐くという呼吸で走ると苦しくないことに気付いたそうです。
その後、今の熊本県立玉名高等学校から、今の筑波大学へと進学し、柔道の創始者である嘉納治五郎さんとの出会いが、四三さんの運命を大きく決定づけるものとなりました。
人の2倍練習し長距離ランナーとなっていきます。そして日本のオリンピック初参加として国内予選があった時、四三さんは黒足袋で頑張りみごと優勝!当時の世界記録を27分も縮めるという、素晴らしい結果だったそうです。
その後、世界の数々の大会に出場し、熊本に帰郷すると熊本県体育協会の設立に力を注ぎ、初代会長に就任しました。
金栗四三さんはユーモアあふれた方でもあったそうで、名言がいくつか残っている中、有名なのが・・・
⇐ 「体力・気力・努力」
金栗四三さんが歩んできた道そのものです。
55年の時を経て、ストックホルム大会55周年記念祝賀行事で走られた後のコメントに
「私はオリンピックで、優勝はできんかったとじゃ。ばってん!あの第5回ストックホルム大会に出場したオリンピック選手は皆、亡くなってわし1人になったとじゃ!長生き競争には、わしが1番たい!はっはは!」
と熊本弁満載!ユーモアあふれるコメントはおみごとです!
熊本の誇りでもある金栗四三さんの大河ドラマ「いだてん」を、今年はしっかり見ようと思います!
人生を無駄にすることなく生き抜く力、これからの世の中には、必要なことです!
熊本の和水町も今年は元気になります!
皆様も一度、足を運ばれてみてはいかがでしょうか?
どこか懐かしさを感じる心和む町です!
詳細はこちらをご覧ください⇒ http://www.kanakurishiso.jp/user_data/seika